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故郷 山形の中学校同級会 (6月9日)
伊勢市 大山で長寿を願う

日向薬師の山門の階段を上る
=2024/06/09、伊勢原市日向
 
 
茅葺きの本堂
=2024/06/09、伊勢原市日向
 
 
一隅が3柱(計12本)の鐘楼
=2024/06/09、伊勢原市日向
 
 
重要文化財を展示する宝殿
=2024/06/09、伊勢原市日向
 
 ● 神奈川県内に住む中学校の同級生6人で、伊勢原市の大山を歩きをしました。昨年に続く2回目で、今回は日向薬師(日向山宝城坊)を訪ねました。
 この寺は、716年に行基菩薩が開創したと伝えられます(寺のしおりより)。
 行基は奈良の大仏造営に、頭領的な役割を果たしました。先祖は朝鮮半島出身で、優れた総合的な技術者です。
 ● お寺の見学では、興味深いことを知りました。丹沢の「丹」の由来は丹砂(辰砂)が採れる沢の意味だそうです。
 丹は、一般的には谷を意味しますが、丹頂鶴のように赤色の意味にも使われます。丹砂とは、硫化水銀の元で、古くから顔料の赤色に使われ、神社仏閣の柱などの塗料になる貴重品です。
 ● 丹沢の山並みは、丹砂の鉱脈を探す修験者(山伏)、山岳修行僧などが活躍した所だった言う。探索者は、地質学の知識を持つ技術者だったのでしょう。丹砂を発見したら、独占権を守るため、他者を近づけない神聖な場所として形成されます。入山女人禁止は、その一例かも知れません。その成果は、時の支配者やスポンサーを称える記録だけが残り、発見者などの日常記録は書かないから、神聖なことだけが伝わるようです。探索者は、神社仏閣を宿舎にし、修行と探索に励んだのでしょう。ほら貝は、広範囲を緻密に探す連携プレーの通信だったとも言われます。
 ● 私の中学校の同級生は、153人(3クラス)でした。その内70余人が関東から西に移住しました。1950~60年代に故郷を離れた人の多くは、地元で生計が成り立たず、仕事を求めて大都会へ出たのです。農業を基幹産業から外し、工業製品に偏重したためです。農業の自給率(38%)を見れば明らかです。現状は、後継者のなり手がなかなかおらず、耕作をやめざるを得ない状況です。4月に故郷を歩き実感したところです。
 ● 数年毎に開いた全体の同級会は、80歳で終わりました。加齢に伴い参加が無理になったからです。近隣の同級生で無理なく集まり、昔話しに花咲かせ、若返るのが長生きの種だと思っています。 
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